「安藤誠の世界2010」本州編終了3

2010 / 11 / 17

東京農工大学大学院(東京都・港区)

東京での講演が続く。
この日は芝浦のキャンバスイノベーションセンター。
夏にヒッコリーにいらした松下博宣氏の要請で、学生らに講演となる。
人数が少なく完全なボランティアだったが、風邪で熱が下がらずフラフラな状態で、気力だけでのぞんだ。
しかし参加者からの要点をついた質問。
これに答えるために来たんだな、と思うような良い質問が多かったのに救われた。
電車を乗り継ぎ、埼玉の幸手には心身ともにぼろぼろに近い状態で帰った。
この幸手の風ある林整骨院の渡辺氏のおかげで、きつい東京での講演などもなんとか乗り切ることができた。
やはり学生時代からの友人はありがたい。
いろいろな意味で精神的にも安定し、楽だったのは言うまでもない。

益子(栃木県)

翌日から栃木の益子で陶器の買い付けをスタートさせたが、益子の自然の豊かさにまず救われる。
また8年くらい前に偶然お世話になった薬局の前を通ったらお店が開いていて、思わずおばさんとおじさんにあいさつと思い車を止めた。
おばさんが覚えていてくれて、すぐに体調がすぐれないでしょう?とドリンクや風邪薬をわけてくれる。
ここはお店なのに。
フォトエッセイやお菓子などを渡しながら、少しお話する。
おじさんは体調がすぐれずお店にでられていないと言う。
それにしても本当に旅先での人の優しさには、体全体が暖かくなる思いだった。

久野陶園 (茨城県・笠間市)

益子で休み休み買い付けをして、いよいよ本州講演最終日の、笠間、久野陶園。
ここではたくさんのサプライズが待っていた。
まずは、ヒッコリー婦人部?のけいこちゃんが突然標茶から現れる!
まったく情報もな、くびっくり。
それにしてもありがたい。
命のジンジャーエールも差し入れしてくれた。
福島のいわき市から1人で来てくれたかおりさんや、大学時代の悪友も宇都宮から仕事帰りに参上してくれたり。
笠間は本当に熱く、嬉しかった。
次は、ピタゴラスイッチでも有名な栗コーダーカルテットの川口さんが埼玉から現れて、一緒にライヴに参加してくれたこと。
突然のプロミュージシャンの登場に会場もびっくり。
地元ミュージシャンたちも素敵な人ばかり。
とくに22歳の女の子のゆいちゃんの作った曲と声は、不思議なくらいすんなり入ってきて心地よいのだ。
まったくの初対面でいきなり一緒にプレイさせてもらったが、会話が成立。
北海道でもやってもらいたい若いミュージシャン。
主催者のけいこシュガーさんは完璧にかっこいい主婦、陶芸家、ミュージシャン!
粋なカッティングでぐいぐいもりあげてギターを弾く。
笠間の夜は土間で焚き火をしながら、深夜2時まで続いたのだ。

また笠間では研修生の佳織と再再会。
今度はまめに連絡をしながら指定時間ぴったりに現れる。
久野陶園さんでも自分から仕事やアシストを探し動いていた。
常滑の経験や麦っ子畑での研修が生きてきているようで安心するとともに、少し嬉しくなった。
講演した後も、湯呑みに水を持ってきてくれたり、ちゃんと彼女なりの心が入りはじめていた。
自分はろくに食べず、しっかりお客さんに給仕している姿も嬉しかった。
最終日に成長と心が晴れる動きをしてくれた佳織に感謝。
彼女なりにいろいろつかむものがあったようだ。
それだけでも一緒に本州にきた成果があると思う。
すぐにくさったりあきらめる若い世代は多いが、彼女の頑張りと心の切り替えは本物だと思う。
これが何より嬉しかった。
自分で選んだ道に迷いはたくさんあると思う。
しかしその迷いをふりながら逃げずに歩いたものだけが向かえる世界がある。
少なくとも最高だと言われる状態でやめたり道を変えられたら本物だろう。
今回もアウェイでの大きな試練がたくさんあった彼女だが、彼女なりにしっかり乗り切っているようだ。
翌日陶器類の回収を行い、大洗からフェリーで北海道へ。
港でもアラスカつながりのこざわ氏に見送られ出発。
ありがたい。
フェリーではほとんど意識を失っていたが、北海道上陸でがぜん元気がでてくる。
400キロ弱を走って鶴居村へ。
いつもは必ず居眠りしている佳織が1度もうとうとせず、最後まで起きて頑張っていた。
これは長距離でも初めてだ。
本当に頑張りはじめたようだ。
私も1ヶ月ぶりの帰還だった。


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