North to the Future

2011 / 5 / 10

4月27日に1カ月半ぶりにアラスカより帰国後、翌日からガイドや講演。
大型連休の半ばにはアラスカからの疲れもピークで発熱。
それでも帰国後も嬉しい仕事や出会いや別れなどで感謝しながら乗り切る。
昨日は忍さんの実家と自分の実家と久々に訪問。
夜は夕食もとらず延々と眠ってしまっていた。

1カ月半のアラスカは6500キロメートルを縦横無尽に走る。
昼間ワタリガラスの声に耳をすましながら動物たちをさがし、夜はわずか4~5時間の闇に北斗七星を見上げオーロラを待った。
震災から1週間後の出発や、白夜に近づくアラスカまでの、長期にわたるガイド。
今回のアラスカは今までとはいろいろな意味で違う、深いところからのメッセージや気づきを与えてくれた。
なぜアラスカでガイドなのか?
なぜアラスカをガイドしたいのか?
そんな答えや方向性もはっきりしてきた。

今回のガイドでは写真撮影も大きなウェイトを占めるお客さんが多く、自分でも機材を充実させファインダーをのぞく機会を増やした。
オーロラは物語やメッセージを意識した写真を撮ることに努める。
数枚だが自分自身の心に響くオーロラの光をとらえた。
それがNorth to the Future。
停滞している人には前進を。
今進んでいる人には確かな自信を。
アラスカの州のスローガンが、なぜ「北に未来あり」なのかが、はっきりとわかった。

今まで見たことのないフクロウ、
道のない原野で1人暮らすアメリカ人、
原野を埋めつくすライチョウたち、
虹色の雲を飛ぶイヌワシ、
満月の夜のフクロウとオーロラの舞い、
至近距離でのハクトウワシ、
深い森での冬眠明けの巨大灰色熊の足跡、
はっきり青空に浮かぶマッキンリーの山頂、
かつて300人、現在12名の人口のワイズマンでの滞在、
ラッコやハクトウワシ天国のホーマー、
絶壁を駆けるドールシープたち、
河内牧栄との再会と写真モデル事件、
フェアバンクスの書店で地元バンドと演奏、
あげるときりがないほどの素晴らしい時間を過ごす。

これはできればアラスカのフォトエッセイとしてポストカードブックにまとめられたらと思う。

帰国後の道東の森や湿原のガイドも素晴らしかった。
強風や雨が続いたが、やはり北海道、とくに道東の自然や生命の営みは一段と輝いている。

アラスカガイドはある意味、北海道とは比べられないプレッシャーとリスクと戦う苦しい日々でもあるのだが、このプレッシャーとリスクと向きあい、ひとつひとつ越えたものだけが、次のステージにいけるのか?
それは現代では一般的ではなく、むしろ冒険的な位置づけとなるのかもしれないのだが。
しかし100年前の北海道やアラスカではそんな生き方は日常だったはず。
その時代を生きた人たちはリスクとプレッシャーは苦しみではなく、喜びや幸せの過程であり、必然だったのかもしれない。
現代にそれを求めるのは不自然かもしれないが、ガイドとしてそんな生き方や時間、風景、自然の営みを、出会いと感動として提供していけたら本望だ。

「北に未来あり」。
北海道に生まれ、ここに暮らす人間にとって、これほど心に響く言葉があるだろうか。
震災で打ちひしがれている人たちや、直接ではなくとも、震災の影響でマイナス思考や停滞している人たちに光を灯せたら。
私のまわりにはそんな確かな光を灯せる人たちがたくさんいる。

湿原で冷たい雨のなか卵を抱くタンチョウの夫婦。
そんな風景がまわりで「日常の奇跡」として営まれている鶴居村。
素晴らしい出会いが待っているヒッコリーウィンド。

その鶴居村、ヒッコリーウィンドに帰ってきた喜びを今あらためてかみしめている。


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