15歳の自転車一人旅

2011 / 8 / 12

娘が4日前に約500キロの自転車旅に出発していった。
私が16歳の時に稚内市で購入した31年モノの片倉シルクキャンピング。
31年ぶりの自転車の里帰りに最北端の街、稚内を1人目指して走っている。
出発初日の15キロ地点で、なんとリヤディラーの変速調整が経年劣化で破損。
もともと後5枚と前3枚の15速の変速機が、なんと前1枚後5枚の5速しか使えなくなってしまう。
重い荷物を3つのバックに積んで稚内まで5速のみ。
これは本当に厳しい。
初日は弟子屈までのアップダウンと美幌峠という難関。
それでも5速は使えると説明すると、娘は頑張ってみると一言。
私もカヌーガイドで釧路川に出るため急いで引き返す。
大丈夫だろうか?
本当に不安でいっぱいになる。
午後にガイドが終り、様子を娘に聞くと美幌峠にアタック。
荷物を減らしてやるため美幌峠に車で私も向かう。
重いギアしか使えないためふらふらで峠を上る娘。
何もしてあげられないが、頂上で日没直前に娘を待って応援。
峠から初日の宿泊地美幌町まで、先先で待ちながら宿に入るところまで見守った。
50キロのハイスピードで峠を悠然と下る娘。
もちろん道はとっぷりと暮れた闇。
フラッシュライトを点滅させて少しずつ近づいてくる娘の自転車。
車で先まわりしていて登り坂があるとすまない気持ちになる。
それでも娘は黙々と闇を漕いでくる。
私はなんども胸が熱くなった。
こんなに根性つけてくれてありがとう。
やっと美幌の明りが見えてきたのは夜9時をまわっていた。
美幌ではヒッコリー関係のお客さんと連絡をとり、空気ポンプを借りたり、一緒に食事をごちそうになったりお世話になる。
娘は初日14時間、路上で頑張っていたことになる。
私も夜中にヒッコリーへ戻り、明日から1人娘の旅の成功と安全を祈った。

2日目からはまったくサポートなしで佐呂間、雄武、浜頓別と1人で宿に3泊とまりながら11日100キロ前後を進んで、いよいよ明日最北端の稚内。
忍さんや新しい家族のラブラドールのキャンディ、私の母とで稚内のゴールに迎えに行く。毎日心配で本当にこのような旅を勧めてよかったのだろうか?と自問しつつ娘にとって最高の旅になることを願っている。

そもそも私が、娘と同じ歳に同じ自転車で、北海道を旅したことがあまりに素晴らしい経験になったことが今回の娘の旅の始まりだった。
その自転車が、ほぼ31年前と同じルートで稚内(自転車の故郷)を目指しているのも偶然だろうか。
自転車は壊れながらも娘を最北の地、そしてかけがえのない最高の何かを娘と私たちに渡すべく走ってくれている。
ギアが壊れても、美幌峠で暗くなってもあきらめないよ、まだ漕ぎたいよ、と言ってくれた娘に心から感動した。
親ばかと言われてもこれは心底娘にやられた。

31年前に相棒だった自転車には何か魂が入っているとしか思えない。
私も安全に旅を続けてくれることを心から願っている。
私から娘へスピリットを受け継いでもらう旅が始まっている。


この記事のタグ:

Comments are closed.

What's this?

BLOG TOP>カテゴリー:ヒッコリーウィンドのこと, 注目の人の記事:15歳の自転車一人旅 です。