日本最北端から

2011 / 8 / 28

毎日娘からの連絡にどきどきしながら、ついに5日目に、日本最北端の宗谷岬へピックアップ。
4日間娘が奮闘していたルートを、忍さんや同行してきた私の母に説明しながら、朝4時から娘を追いかけた。
1日100キロ前後平均で、旅人宿や旅館に1人で泊まりながらの旅。
たんたんと走り、宿でもそれなりに出会いなど楽しんでいたようだ。

そろそろ娘が視界に入るころだと話しながら、車は浜頓別に入った。
抜けるような長い直線にさしかかった時、娘の姿が遠くに見えた。
私の母はすごいねぇと涙を流しながら孫の雄姿に感動。
娘に車が追いついて、忍さんが娘に抱きついて、照れる娘をほめていた。

私は車に積んできたマウンテンバイクを組み立て、早速娘と宗谷岬まで残り70キロちょっとを一緒に走りはじめた。
オートバイでいつか娘と走れたらという夢もあるが、まさか自転車でかつて自分が高1で走った宗谷ルートを、同じ歳の娘と走れるとは思わなかった。
私が前を走ったり、娘が前を走ったりしながら、高低差がある宗谷丘陵を走る。
景色にとけ込む旅の自転車は素敵だった。
抜いていく北を目指すライダーたちからエールが何度も来る。
すれ違うライダーにピースサインを返している娘をみると胸が熱くなる。
そう、この世界や感覚を、彼女にも伝えたかったから。

途中何度もきつい峠や向かい風に、私は叫びながら娘と走った。
空はどこまでも青く抜けていく。
クジラのような雲が自転車の速さでついてきた。
懐かしい風景を思い出しながら4時間ちょっとで宗谷岬に到着。
多くの観光客やライダーたちが集まっている。
自転車はごくわずかなのが残念。
それでもやりとげた顔をしている娘を写真に収めて無事稚内へ。

稚内では30年ぶりの自転車の里帰りが待っていた。
戸川サイクルという北海道では最高の自転車屋さん。
私が16歳のときお世話になっていたお店だ。
戸川のおじさんと自転車も30年ぶりに再会して喜んでいるようだ。
一晩預かっていただき、タイヤ交換やシフトの調整などお願いする。
翌朝自転車を取りに行くと、壊れたシフトやスポークの張りなど、すべて完璧な状態で引き渡された。
本物の職人の心意気と優しさを受け取った。
「こんなに大切にされてこの自転車も幸せだね。」
おじさんの言葉が響いた。
驚くことに店には30年前のパーツやスペアが大量にストックされているではないか!
おじさんは
「いつか安藤君のようなサイクリストがきても、部品がないと言わないようにしたい」と。
日本最北の地に戸川サイクルありだ。
しかも稚内で150万以上する自転車を堂々と店頭で売っているのだ。
16歳の頃、よくおじさんにイタリアのカンパニョロの自慢をされたのを思い出す。
彼はその頃からずっと本物しか扱わなかった。

娘のおかげであらためて私自身の人生も振り返らせてもらったようなものだ。


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