藤戸竹喜氏との出会い

2010 / 4 / 21

24歳のころに大胆なオートバイの選択をした。

それは国産メーカーのニューモデル攻勢と、愛車を数年で買いかえていく流れに、疑問を感じはじめていた時期でも あった。

そのときの「大胆な選択」というのは、イタリアのアルトゥーロマーニ氏という、「MVアグスタ」という名門レ―シングチームのチーフメカニックが引退して、小さな工房で手作りしていていたバイク。このオートバイの話はまた機会があれば話したい。当時の私は若い感性で一流の名車に乗ってみたいという気持ちと、もう愛車の買いかえは避けたいという思いで、高額なバイクを買う。しかしそのバイクは現在も所有していることと、私に多くの素晴らしいかけがえのない出会いをつれてきてくれた。

その出会いのひとつが、素晴らしいアイヌの木彫り職人、藤戸氏だ。晴れ渡った空の下、マーニ(私のイタリアンバイク)を路肩に停めてタバコを吸っていた。突然大きなハーレーがやってきて驚く。そしてそのハーレーのカスタムもさることながら、ヘルメットを脱いだ男の顔をみてもっと驚いた。いったい何人?外国の人?彼はいきなり私の前にあらわれた。

「そのバイクはおまえのか?ずいぶんいいバイクだな。ちょっと見せてくれないか?」
「はい、いいですよ。これはイタリアのおやじさんの手作りなんです。」
彼は私のバイクを眺めながら
「これからコーヒーを飲みにいくが一緒にこないか?」

私は迷わず不思議なオーラの漂うライダーについていくことにした。阿寒横断道路を2台のオートバイで走る。弟子屈の入り口にさしかかったとき、洒落たレストランに入りパスタとコーヒーをごちそうになった。

20年以上前の話だから、何を話したかはよく覚えていない。しかしそのとき彼が木の名刺をくれて、藤戸竹喜という名前と住所があった。その名刺をポケットに、釧路のジャズ喫茶「ジスイズ」に行き、その日の不思議な出会いをマスターに話し名刺を見せた。

マスターの驚いた顔は今も忘れない。そう、藤戸氏はかなり有名なアイヌの木彫り職人だったのである。それから阿寒湖の彼のアトリエやお店を訪ねることになる。私が先生を辞めて今のヒッコリーウィンド立ち上げのときは、オートバイで、新聞にくるんだ素敵な熊のマスクをお祝いにと届けてくれた。

2004年には、アラスカからきたハイダ族のスピーカーに、アイヌの素晴らしい木彫り師として藤戸氏を紹介して、私と妻ともども一緒にアラスカケチカンに招待された。アラスカではポトラッチ(宴)にも参加させていただいたり、ハイダのカーバー(木彫り師)たちともトーテムポールを彫らせてもらう。

ともにアラスカに行ったことや、20年以上になる付き合いを通じて、素晴らしいアイヌのスピリットや文化を直接見せてもらったり、感じさせてもらうことから、私の人生においてかけがえのない出会いとなっている。

そこに彼がいるだけで伝わってくるものがある。そこに彼の作品があるだけで見える魂があるのだ。木彫りという概念で見るには、あまりにも作品がずばぬけている。民芸という言葉が使えないのだ。

彼は純血のアイヌ民族だが、たまたまアイヌであっただけで、アイヌという枠から彼をとらえるには世界が小さすぎる。「アイヌ」という本来の彼らの意味こそ、藤戸氏にはぴったりだ。そう、人として立派に自分の役割や、天命をまっとうし、極めてきた人間。つまり人の本来のあるべき、それぞれの生きざまを極めて、アイヌという言葉だからだ。だから、「アイヌの素晴らしい木彫り師」という紹介の仕方は、したくないのが私の本音。

うまく言いたいことを表現できないもどかしさがあるが、ぜひとも彼の魂の作品や時間を観ていただきたい。そしてできればぜひ、彼に会っていただきたいと思う。言葉にならない本物、そしてリアリティ、スピリット、すべて感じられるはずだ。

物語のように紡がれる藤戸氏との出会い。
本物の魂の入ったオートバイの、エンジンの鼓動とともに現れた出会いでもある。私にとって誇りのような時間。

今こうして皆さんに、彼の作品と、彼や素敵な奥様をヒッコリーウィンドで紹介できる喜びを静かに感じている。ヒッコリーの空間に現れた素晴らしいヒグマやオオカミ、クジラ、ラッコたち。彼らもまさに、今にも動きだしそうだ。そしてまるで生きているかのように、たたずんでいる。

この奇跡のような出会いを、感動とともに皆さんに届けたいと思う。

藤戸竹喜氏の作品展・講演会の詳しい情報はこちら »
ヒッコリーウィンド春祭り


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